思わぬ出来事
7月27日に埼玉の自宅を出発し、
自分は年老いた母を連れて北海道を旅していました。
7月31日、順調に旅していた自分たちに突然、
思わぬ出来事が起こってしまいました。
裏摩周展望台にて母が突然転倒してしまい、
まったく動けなくなってしまったのです。
動かすと痛がるのでおぶって車へ運びました。
近くで清掃していた男性の方に近場の病院を訪ねました。
麓の斜里の病院を紹介され、車を40分程走らせ辿り着くも、
外科の先生は手術中とのことで網走の病院を紹介されました。
更に車を1時間程走らせ、やっと網走の病院に到着。
受付の方に事情を説明するも、何だか変な人扱い・・・
その対応に切れ気味になるのを押さえ、何とか見てもらえることに。
更に40分程待って、やっと診察。
とりあえずレントゲンを撮ることになりました。
しかし、その様子の異変にやっとレントゲンのベテラン風の先生が気づきました。
母が転倒してから3時間半の時間が経過していました。
再度の診察から急に病院の院長先生に変わり、
事の重大さに気づかされました。
母は転倒の際に右足の股関節を骨折、
このまま入院して手術をするか、膨大な費用を掛けて埼玉へ搬送するか、
あなたが判断して早急に結論を出して下さいと言われてしまいました。
自分は即、旅行を中断することを決意し、
母を入院させ、ここ網走で手術を受けさせることを決断しました。
そうと決めたら後のことは何も考えず、
今やれるすべてのことに取り掛かり始めました。
入院の手続き、自宅で待つ父や妹への連絡、パッケージの旅行会社への連絡。
いつもは航空券を取って、宿を手配して、車を手配してという作業を、
すべて自分で行う自由旅行派の自分が、
今回はなぜかすべてがセットになったパッケージを選んでいたいのが不幸中の幸いでした。
旅行会社に電話し事情を説明すると、それ以降の宿や航空券のキャンセル、
今後の手続き等の手配をすべて行って下さり、
何と、宿のキャンセル分100%返金、帰路の航空券の無償での振替という対応をして下さったのです。
敏速な対応とご連絡、本当に有難かったです。
それに比べ、病院の受付嬢、
入院することになった旨を伝えるとコロッと態度急変。
本当に腹が立ちましたが、
もうどうでもいいや、そんなこと。
それより母。
母はすでに病室へ搬送されていました。
あれからやっと1週間が経ちました。
短いようで長く、とてつもなく辛い1週間でした。
母はどれだけ痛かったことだろう。
こんな思いをさせるんだったら、
北海道になんか連れて来なければよかったと後悔もしました。
知り合いすらいない、
遠い旅先の見知らぬ街で置き去りにされた親子ふたり。
ひとりの時間になると、たくさん、色んなことを考えました。
昨年の父に続き、今度は母。
度重なる試練。
もしかしたら、今までが平穏すぎて、これが当たり前の人生なのか。
だとしたら、尚更乗り越えたい試練。
いや、絶対に乗り越えたいと思う。
そして、その先に何があるのか。
母は自分が何としても家に連れてかえってみせると心に誓いました。
自分は今、網走で毎日、病院とホテルを往復しています。
そして、おととい母の手術が無事に終わりました。
順調に回復すれば、
8月の終わりまでには埼玉に帰れるかもしれないとのこと。
8月17日から決まっていた仕事は、
残念ながらキャンセルになってしまったけれど、
それは、治るまで母の面倒を見ること!
という神様からのお達しだと思うことにします。
もしかしたら、そこに何かの意味があるのかもしれません。
もう後悔や振り返ってる余裕はありません。
今の自分は、目の前にあるやらなければいけないことを一生懸命やるのみです。
そのあとのことは何とかします。
毎日、落ち込んでいても仕方がないと思い、
こんなに長い間、網走にいるのだから、
ホテルを出て、病院の面会時間までの間の時間に、
網走巡りに出てみることにしました。
以下は、この一週間、
こんな自分を癒してくれた網走の風景です。

能取湖




能取岬

オホーツク流氷館


眼下に広がる網走の街とその奥のオホーツク海。
さらにその向こうに霞むのは知床半島。

自分の親が旅先で負傷して入院しているというのに、
ブログやSNSを更新なんかして不謹慎だと思いましたが、
誰かに今の自分の状況や気持ちを一方的ではありますが聞いてもらいたくて、
それが自分の励みになり今後の活力になればと思いあえて更新いたしました。
皆様のご理解の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
また、旅先で路頭に迷った本州の親子を助けてくださり、
温かく見守って下さる病院の方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
全国的に猛暑とのことですが、
ここ網走は昨日からすっかり涼しくなりました。
もう秋の気配でしょうか。
皆様、どうぞ夏バテには十分お気をつけ下さい。
自分も頑張ります。
自分は年老いた母を連れて北海道を旅していました。
7月31日、順調に旅していた自分たちに突然、
思わぬ出来事が起こってしまいました。
裏摩周展望台にて母が突然転倒してしまい、
まったく動けなくなってしまったのです。
動かすと痛がるのでおぶって車へ運びました。
近くで清掃していた男性の方に近場の病院を訪ねました。
麓の斜里の病院を紹介され、車を40分程走らせ辿り着くも、
外科の先生は手術中とのことで網走の病院を紹介されました。
更に車を1時間程走らせ、やっと網走の病院に到着。
受付の方に事情を説明するも、何だか変な人扱い・・・
その対応に切れ気味になるのを押さえ、何とか見てもらえることに。
更に40分程待って、やっと診察。
とりあえずレントゲンを撮ることになりました。
しかし、その様子の異変にやっとレントゲンのベテラン風の先生が気づきました。
母が転倒してから3時間半の時間が経過していました。
再度の診察から急に病院の院長先生に変わり、
事の重大さに気づかされました。
母は転倒の際に右足の股関節を骨折、
このまま入院して手術をするか、膨大な費用を掛けて埼玉へ搬送するか、
あなたが判断して早急に結論を出して下さいと言われてしまいました。
自分は即、旅行を中断することを決意し、
母を入院させ、ここ網走で手術を受けさせることを決断しました。
そうと決めたら後のことは何も考えず、
今やれるすべてのことに取り掛かり始めました。
入院の手続き、自宅で待つ父や妹への連絡、パッケージの旅行会社への連絡。
いつもは航空券を取って、宿を手配して、車を手配してという作業を、
すべて自分で行う自由旅行派の自分が、
今回はなぜかすべてがセットになったパッケージを選んでいたいのが不幸中の幸いでした。
旅行会社に電話し事情を説明すると、それ以降の宿や航空券のキャンセル、
今後の手続き等の手配をすべて行って下さり、
何と、宿のキャンセル分100%返金、帰路の航空券の無償での振替という対応をして下さったのです。
敏速な対応とご連絡、本当に有難かったです。
それに比べ、病院の受付嬢、
入院することになった旨を伝えるとコロッと態度急変。
本当に腹が立ちましたが、
もうどうでもいいや、そんなこと。
それより母。
母はすでに病室へ搬送されていました。
あれからやっと1週間が経ちました。
短いようで長く、とてつもなく辛い1週間でした。
母はどれだけ痛かったことだろう。
こんな思いをさせるんだったら、
北海道になんか連れて来なければよかったと後悔もしました。
知り合いすらいない、
遠い旅先の見知らぬ街で置き去りにされた親子ふたり。
ひとりの時間になると、たくさん、色んなことを考えました。
昨年の父に続き、今度は母。
度重なる試練。
もしかしたら、今までが平穏すぎて、これが当たり前の人生なのか。
だとしたら、尚更乗り越えたい試練。
いや、絶対に乗り越えたいと思う。
そして、その先に何があるのか。
母は自分が何としても家に連れてかえってみせると心に誓いました。
自分は今、網走で毎日、病院とホテルを往復しています。
そして、おととい母の手術が無事に終わりました。
順調に回復すれば、
8月の終わりまでには埼玉に帰れるかもしれないとのこと。
8月17日から決まっていた仕事は、
残念ながらキャンセルになってしまったけれど、
それは、治るまで母の面倒を見ること!
という神様からのお達しだと思うことにします。
もしかしたら、そこに何かの意味があるのかもしれません。
もう後悔や振り返ってる余裕はありません。
今の自分は、目の前にあるやらなければいけないことを一生懸命やるのみです。
そのあとのことは何とかします。
毎日、落ち込んでいても仕方がないと思い、
こんなに長い間、網走にいるのだから、
ホテルを出て、病院の面会時間までの間の時間に、
網走巡りに出てみることにしました。
以下は、この一週間、
こんな自分を癒してくれた網走の風景です。

能取湖




能取岬

オホーツク流氷館


眼下に広がる網走の街とその奥のオホーツク海。
さらにその向こうに霞むのは知床半島。

自分の親が旅先で負傷して入院しているというのに、
ブログやSNSを更新なんかして不謹慎だと思いましたが、
誰かに今の自分の状況や気持ちを一方的ではありますが聞いてもらいたくて、
それが自分の励みになり今後の活力になればと思いあえて更新いたしました。
皆様のご理解の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
また、旅先で路頭に迷った本州の親子を助けてくださり、
温かく見守って下さる病院の方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
全国的に猛暑とのことですが、
ここ網走は昨日からすっかり涼しくなりました。
もう秋の気配でしょうか。
皆様、どうぞ夏バテには十分お気をつけ下さい。
自分も頑張ります。