素敵な方々とのめぐり会い

今朝の北海道の気温。
切れちゃってますが、東京の28.4℃とは雲泥の差です。
お盆を過ぎても東京はまだまだ暑いですね。

週間予報を見ても、この先はもう30℃を越える日はないようです。
ここ網走は明日も20℃にも届かない。
こちらのサラリーマンはもうしっかり上着を着て通勤しています。
本州よりも一足も二足も早い秋の到来・・・
では、実際に自分は何をしているのか?
網走での日々、
母は勿論、怪我を治すべく入院しているのであるが、
自分はいったい何をしていたのか・・・
病院では、自分のみが患者(母)の窓口であり、
入院の手続きも、手術当日のいわゆるご家族の方も、
当たり前であるが、自分がすべて熟さなければならない。
入院が決まってからは、自分の宿の確保に病院までの足の確保。
出来るだけ安いホテルを予約し、レンタカーを借りました。
先の見えない出口、滞在費はなるべく節約を心がけました。
レンタカーは旅をしているときは、ちょっとデラックスな車でしたが、
その後は、乗れればそれで十分な中古の激安車を借りました。
ホテルは全国チェーンの会員になり、エコプランで予約、
無料の朝食を毎朝欠かさずいただくことによって、食費の節約も出来ました。
面会時間は、平日は13時から、土日は11時から、
母が手術前後の個室の時は、きっと寂しい思いもあるだろうと、
面会開始時間から夕食後の18:30頃まで病室に付き添っていました。
病院に備え付けのコインランドリーで洗濯(これは自分のものも一緒に)をしたり、
母の昼食や夕食の補助、当初は寝たきりのような状態だったので、
口元まで持っていって食べさせたりもしていました。
昼食は自分もコンビニで買って行ったりして、一緒に食べたりもしていました。
食後は、歯磨き、うがい、薬など、出来るだけのことはしました。
何せ、足を怪我すると、どこにも行けないという制限が出てきます。
その中でもトイレは本当に不自由だったと思います。
術後まではおむつでの生活。
母もだけど看護婦さんはもっと大変です。
本当に感謝。
自分も旅行の途中からいきなり介護が始まったようで、
怪我のショックに加え、
このような日々が始まったことへの不安と落ち込みの毎日でした。
しかし、途中、自分だけが4日間、埼玉の自宅に戻り、
再び、網走に戻って来ると、状況は激変していました。
母は個室から一般病室へ移り、
リハビリも始まっていました。
おむつも取れて、自力でトイレに行くようになっていました。
歩行補助の車につかまり、早朝は外の景色を楽しむようになっていました。
入院当初、病院の周りは本当に素晴らしい景色なんだよ。
って言っても何も伝わらなかったのですが、
母は今、自らの目でそれを堪能しています。
そして、同室になった地元のお二人。
昨日もデイルーム(広場兼食堂)で、
コーヒーを買って下さって長い時間おしゃべりしていました。
もう連絡先の交換もしているようです。
思いがけぬ網走の新しい友達。
そして、怪我をして路頭に迷っていた内地(本州のことを北海道の方はこう呼んでいます。)
の親子二人をずっと励まし続けてくださった病院の方々。
「年に何人かいらっしゃるんですよ(笑)」
なんて明るく話してくださいましたが、
きっと想像以上に大変だったことでしょう。
昨日は20日(退院の日)の打ち合わせをして、
空港へも、埼玉の病院の手配もすべて行って下さいました。
リハビリのジジ先生(中年のお父さん)は親身になって話して下さり、
イケメンの若先生は心底優しい。
本当のイケメンは心までもイケメンなんですね。
自分たち親子が出会った網走の方々。
素敵な方々にめぐり会えた奇蹟。
素晴らしい網走の方々と素晴らしい網走の景色。
きっと、ずっと忘れることが出来ないでしょう。
そんな網走に居られるのもあと残り僅か。
自分の中では帰れる嬉しさはもちろんありますが、
網走を離れる寂しさも正直あります。
不思議ですね・・・
痛い思いをした母には大変な3週間だったと思いますが、
そんな母も何だか感傷深い気持ちになっているようです。

自分は今、レンタカーを借りるのをやめて、
毎日、バスで網走の街並みを眺めながら病院へ通っています。
ちょっとだけ、あとちょっとだけ網走市民をしていてもいいですよね?
昨日の網走の最高気温は19.2℃。
1ヶ月ぶりに最高気温が20℃を下回ったとテレビで言っていました。
お盆を過ぎるともう夏も終わりとはまさにこのことを言うのですね。
自分にとっての忘れられない夏も終わりが近づいてきたようです。
