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2015年を振り返って

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新春、2015年最初の旅は、極寒のソウルからスタートしました。

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2月末、これまで15年間お世話になった会社を退社。
正直、この時点で、あまり先のことは考えていませんでした。
ただただ、少しゆっくりしたい・・・
そんな思いだけだったと思います。

Iターンなる言葉に乗っかるとしたら、
地元で就職して、仕事もゆっくりしたいなぁ。
という思いがあり、何となく町のホームページを見たら、
職員募集という項目があったのでダメもとで応募。

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3月、心の静養をしに香港へ。
行く宛てもなくバスに乗って街を散策したり、
本当に心が休まりました。

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帰国後、面接、採用ととんとん拍子に話が進み、
晴れて4月から町役場の職員に。

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春は晴れると暖かい日差しが、曇ると冬に戻ったような寒さが。
まるで、今年の自分自身を占っていたかのよう。

花の命は短し・・・

慣れない職場で免疫力も低下。
体調不良の4月を何とか乗り切り・・・

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5月、GWの頃の気候が1年で最も過ごしやすい季節。
毎年恒例のポピーが本当に綺麗でした。

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6月、早くも灼熱の空気に包まれていた台湾へ。
とても暑かったけど、やっぱり台湾はいいなぁ~
と思えるような旅でした。

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ジメジメとして嫌われる梅雨ですが、
自分は案外、この季節も好きです。
多分、いちばん好きな花が紫陽花だからでしょうか。

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7月、長い夏休みを頂いたので、さてどこへ行こうか。

母が行きたいと言えば北海道へ。
行かないなら、ひとり旅でNYへ行こうと思っていました。

母の答えはYES。

よって、北海道へ行くことになりました。

この選択が、あの悲劇へと繋がりました・・・

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帯広から北海道へ入った自分たち親子は、
富良野、旭川、稚内を巡り、網走へ。

網走を出た後、ウトロへ向かう途中に摩周湖へ寄り道。
展望台にて母が転倒。まったく動くことが出来なくなりました。
病院を頼って再び網走へ逆戻り。
診察の結果、
即入院して早い段階で手術を受けなければいけなくなってしまいました。

旅行は中止。
と同時に、母に付き添うため自分も網走での滞在を余儀なくされてしまいました。

思いがけぬ網走での生活が始まりました。

入院して5日目。
8月5日、母は手術をしました。
この日の網走は午前中に33度まで気温が上がり、
とても暑かったのですが、午後から気温が急降下。

この日以降、網走は一気に秋めいてきました。
同じ頃、東京は猛暑が続いていましたが、
その暑さを知らないで済んだことが唯一の救いだろうか。

母の手術は無事に終わりましたが、
悶々とした落ち着かない日々が続きました。

というのも、このことで自分は仕事が出来なくなってしまったからです。

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そんな時、心の底から本当に癒された場所がありました。
網走に程近い能取岬。

自分だけしか分からないあの場所は今頃どうなっているだろう。
鹿の親子と遭遇したあの場所もきっと銀世界の中かな。

自分だけ3日間、埼玉の自宅に戻り、諸手続きに駆けずり回り、
一人残った父のことや家のことを終わらせました。
そして、町役場での修行もあっけなく終わってしまいました。

心が折れそうとはまさにこんなことだと思いました。

そんな時、妹と姪っ子が夏休みを利用して
一緒に網走へ行ってくれることになりました。

母も妹と姪っ子が網走まで来てくれたことをとても喜んでいました。

この夏、二人には本当に助けられました。

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Bye Bye北海道。ありがとう北海道。

起こったことはとても辛かったけど、
北海道はそれを優しく包み込んでくれました。
出会った人々も大自然も・・・

8月20日早朝、
母と自分は北海道をあとにしました。

8月21日、母は埼玉の地元の病院に転院。
ここから更に40日入院しました。

母は埼玉に戻ってきたけれど、
家のことも病院のことも自分がひとりでしなければなりませんでした。

よく母や妹のことは書くけれど、
父があまり出てこないことに不思議に思う方もいらっしゃると思います。

実は、自分と父には大きな確執があります。
この世でいちばん嫌いな人はと聞かれたら真っ先に父のことが頭に浮かびます。

何よりも自分が優先で、他人のことなんかお構いなし。
例え家族であろうと絶対に自分を犠牲にはしない、
自己中心的な父が心の底から大嫌いなのです。

ただ血が繋がっているから。
という以外に、何の繋がりもない父ですが、
長年、リュウマチを患っていて、
そんな父の面倒まで見なければいけなかったのが、
とても辛かったです。

そして、仕事。
仕事をしていかないと、一家全滅になりかねない。

さて、この最大の危機を今度はどう乗り切るのか?

まるで、神に試されているかのような気持ちになりました。

9月初旬。
またもやあっけなく就職が決まりました。
が、今度は本当に続けていくことが出来るのか?
という不安に襲われました。

しばらくは、誰にも。
母以外の人には誰一人働き始めたことを口にしませんでした。
続けていけるという自信がつくまで。

しかし、これがまた自分で自分の首を絞めました。
誰にも言えない辛さ、誰にも相談できない辛さ。

前途でお話した家事に仕事が加わり、
更に毎日仕事が終わってから、
母が入院している病院へ通いました。

母の洗濯物を持ち帰り、
翌日新しい洗濯物を届ける。
入浴は家族の者が介助することになっていて、
自分が母をお風呂に入れました。

その間、父が母のところへ行ったのはわずかに2日。
恨みを超えて、その姿を見るたびに鬼にしか見えませんでした。

9月末、母が退院。

10月になって、やっと仕事に集中できるようになりました。
母も家のことで出来ることは自分で何でもやるようになりました。

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気がついたら、季節はすっかり秋へと移り変わっていました。

少し余裕が出て来たので・・・

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家族から休暇を貰って、半年ぶりに、第2の故郷、ソウルへ。

これまであまり熟睡出来ていなかったせいか、
旅先にもかかわらず爆睡してしまいました(笑)

やはり旅は心のリフレッシュが出来ます。

さて、仕事先ですが・・・
実は、韓国に本社がある会社に就職をしました。
上海にも事務所があり、その日本支社で働いています。

社長はもちろんのこと、
直属の上司の部長も韓国人。

覚悟は出来ていたけど、
やはり受けました、韓国的な洗礼を(笑)

分かる方には分かると思いますので、
あえてこの場では説明しませんが、
すごく難しいです、韓国の社会は。

でも、自分にもここまで経験してきたたくさんの知識があります。
自分自身を信じて、今までやってきたことを肥やしに、
ただひたすら目の前にあることを熟すことに徹しました。

ソウルへ報告する時は、基本的に韓国語。
憧れていたとはいえ、自分の知識以上のことを求められると
手も足も出ません。

それでも、最近やっと、やっと、
うっすらではありますが光が見えてきたでしょうか。

各部署で自分は重宝がられるようになりました。

う~ん、でも色んな意味で難しいなぁ。
と思うところ多々あり。
来年以降のことはまだ分からないけど、
とりあえずは当分は頑張ってみるつもりです。

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秋真っ盛り。母も少しではありますが、良くなりつつあります。

退院後もリハビリ通院をして、
心も少しだけ明るくなってきましたが、
足の不自由さがある分、時に心が折れることも・・・

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前だけ見て・・・とはいうものの、
自分は振り返ることをずっと大事にしています。

明らかに自分が辿って来た道。
思い出を大事に出来ないとすれば、
それは自分が描いてきた理想の道ではないと思うからです。

そこは人ぞれぞれ考え方があると思いますので、
恩着せがましく押しつけるつもりはありません。

いつか笑って話せる時がくる・・・
どちらかというと、自分はそんなタイプだということを
言わせていただいたところで。

今年いちばん心に響いた歌。


中島美嘉さんの『花束

この曲の歌詞は、
まさに今年、自分に起きた出来事、
自分の気持ちすべてを表現していました。

なので、これ以上何も言うことはございません。
(これまで散々言ってきましたが (笑))

歌詞と一緒に、ぜひ曲も聴いてみてください。

どうなることか今年。
と思った2015年も何とか、本当に何とかですが、
終えられそうです。

自分は激動の年でした。
今年の漢字一語は「安」でしたが、
自分は「激」。

今年は思うように旅が出来なかったので、
来年はたくさん旅をしたいです!

そして、来年は幸せになりたいな~(笑)

感謝を忘れずに。
人を思いやる気持ちを忘れずに。

今年も当ブログにお越し下さり、誠に有難うございました!!
来年も何卒よろしくお願いいたします。

それでは、良いお年を~
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2015