交通事故に遭いました・・・
今日で1ヶ月が経ちました。
様々な手続きなども落ち着いてきましたのでお話させて頂こうと思います。
ちょうど1ヶ月前の5月20日金曜日早朝のことです。
出勤のため車を運転して自宅を出て間もなく、
大通りに出ようと左折をしたところ、左から来た大型タンクローリーと激突。
自家用車の前方が大破の事故を起こしました。
あと1メール前に出ていたら、
自分の首なり腕一本がタンクローリーに持って行かれてるところでした。
玉手箱のように煙が舞い上がり、
エアバッグが作動し右腕から出血していました。
奇跡的にほぼ無傷と思っていましたが、
数日後に体に異変が起きていました。
見たことも無い様な斑模様のあざが両肩に出来ていて、
右手の半分以上に青あざが出来ていました。
鼻と顎のラインに妙な痛みがありました。
ドライブレコーダーの緊急通報が作動しました。
無我夢中で保険会社さんに電話対応していましたが、
近所であることが幸いしてか、
顔なじみの方が家から飛び出して来て、
車の残骸を片付けて下さったり、
道路の交通整理をして下さったり、
怪我の応急処置までして下さいました・・・
その後、
すぐに警察へ連絡して、
煙が出たことから消防車まで駆けつけて下さいました。
警察の現場検証、
車はレッカーされ、修理工場へ行ったと思っていました・・・
(この時は直せるのではと思っていましたが、結局車は全損に・・・)
タンクローリーは、
追い越し禁止の場所で軽自動車を追い越すため反対側車線にはみ出し、
左折しようと出て来た自分の車の前方を刃物で切るように削って行きました。
あれだけの衝撃にもかかわらずフロントグラスが割れなかったのは、
それだけ鋭利に車の前方を切って行ったからなのでしょう。
タンクローリーは遥か先で停車していました。
それだけスピードが出ていたのでしょう。
ただ相手方の運転手の方はそこから走って駆け付けて下さり、
自分に「怪我はないですか?大丈夫ですか?」と真っ先に気にかけて下さいました。
結局、その日は会社を休み、
現場検証などが終わった後はショックで1日寝込んでしまいました・・・
保険会社さんがドライブレコーダーを見た感じで、
あれだけの衝撃で命が助かったのは奇跡としか言いようがないと仰っていたそうです。
車が無いと何も出来ない田舎に住んでいる自分に、
その日から車が無い生活が始まりました。
駅まで車で通っていた自分は、
翌週からバスでの通勤が始まりました。
バスの車窓から見える景色は脳裏に焼き付きました。
田舎なので毎朝バスに乗って来られる皆さんは同じ顔ぶればかり。
何より運転している時には見られない車窓からの景色に気がつきました。
いつでも都合の良い時に行けてた買い物も、
バスの時刻表を気にして大荷物を持って乗車しました。
母の通院は20分、往復40分掛けて車椅子を押して行きました。
遠くの歯医者へは町の乗り合いタクシーを利用させて頂きました。
このままバス生活でもいいよな・・・
と思っていた自分に早く新しい車を購入しなければと思わせたのは、
人手不足で夜のバスが運休するという町のホームページを見た時でした。
行きはバスで行けても帰りは毎日タクシーで帰宅しなければならない・・・
そんなことしていたらいくらお金があっても持たない・・・
重い腰を上げ新しい車探しを始めましたが、
とてもいい方に出会いすんなり車を購入することが出来ました。
納車は石垣島旅行から帰って来た翌日朝一でした。
インターネットで目玉商品の広告を見て問い合わせをしたところ、
初日の朝一番に行かないと即売の可能性があるとのことでした。
駅まで50分の道のりを歩いて行きましたが、
そこで出会えた景色も忘れることが出来ません。
この事故でたくさんの忘れかけていたことを思い出させてくれました。
命が助かったこと。
それは、まだこの世に生きてやらなけばいけないことがたくさんあると言われているような気がしています。
あの事故の瞬間のことを思い起こすと、
今でも身震いする思いですが、
きっとそれにも何かの意味を持っているようで・・・
石垣島旅行も行けるかどうか不安でしたが、
それがリフレッシュのきっかけとなればと思い行って来ました。
何より、石垣島旅行で3週間振りに車の運転を再開することが出来ました。
さあこれからです。
この事故を教訓に、また新たな人生を切り開いていきたいと思います。
活かされた命を大切にしながら・・・
様々な手続きなども落ち着いてきましたのでお話させて頂こうと思います。
ちょうど1ヶ月前の5月20日金曜日早朝のことです。
出勤のため車を運転して自宅を出て間もなく、
大通りに出ようと左折をしたところ、左から来た大型タンクローリーと激突。
自家用車の前方が大破の事故を起こしました。
あと1メール前に出ていたら、
自分の首なり腕一本がタンクローリーに持って行かれてるところでした。
玉手箱のように煙が舞い上がり、
エアバッグが作動し右腕から出血していました。
奇跡的にほぼ無傷と思っていましたが、
数日後に体に異変が起きていました。
見たことも無い様な斑模様のあざが両肩に出来ていて、
右手の半分以上に青あざが出来ていました。
鼻と顎のラインに妙な痛みがありました。
ドライブレコーダーの緊急通報が作動しました。
無我夢中で保険会社さんに電話対応していましたが、
近所であることが幸いしてか、
顔なじみの方が家から飛び出して来て、
車の残骸を片付けて下さったり、
道路の交通整理をして下さったり、
怪我の応急処置までして下さいました・・・
その後、
すぐに警察へ連絡して、
煙が出たことから消防車まで駆けつけて下さいました。
警察の現場検証、
車はレッカーされ、修理工場へ行ったと思っていました・・・
(この時は直せるのではと思っていましたが、結局車は全損に・・・)
タンクローリーは、
追い越し禁止の場所で軽自動車を追い越すため反対側車線にはみ出し、
左折しようと出て来た自分の車の前方を刃物で切るように削って行きました。
あれだけの衝撃にもかかわらずフロントグラスが割れなかったのは、
それだけ鋭利に車の前方を切って行ったからなのでしょう。
タンクローリーは遥か先で停車していました。
それだけスピードが出ていたのでしょう。
ただ相手方の運転手の方はそこから走って駆け付けて下さり、
自分に「怪我はないですか?大丈夫ですか?」と真っ先に気にかけて下さいました。
結局、その日は会社を休み、
現場検証などが終わった後はショックで1日寝込んでしまいました・・・
保険会社さんがドライブレコーダーを見た感じで、
あれだけの衝撃で命が助かったのは奇跡としか言いようがないと仰っていたそうです。
車が無いと何も出来ない田舎に住んでいる自分に、
その日から車が無い生活が始まりました。
駅まで車で通っていた自分は、
翌週からバスでの通勤が始まりました。
バスの車窓から見える景色は脳裏に焼き付きました。
田舎なので毎朝バスに乗って来られる皆さんは同じ顔ぶればかり。
何より運転している時には見られない車窓からの景色に気がつきました。
いつでも都合の良い時に行けてた買い物も、
バスの時刻表を気にして大荷物を持って乗車しました。
母の通院は20分、往復40分掛けて車椅子を押して行きました。
遠くの歯医者へは町の乗り合いタクシーを利用させて頂きました。
このままバス生活でもいいよな・・・
と思っていた自分に早く新しい車を購入しなければと思わせたのは、
人手不足で夜のバスが運休するという町のホームページを見た時でした。
行きはバスで行けても帰りは毎日タクシーで帰宅しなければならない・・・
そんなことしていたらいくらお金があっても持たない・・・
重い腰を上げ新しい車探しを始めましたが、
とてもいい方に出会いすんなり車を購入することが出来ました。
納車は石垣島旅行から帰って来た翌日朝一でした。
インターネットで目玉商品の広告を見て問い合わせをしたところ、
初日の朝一番に行かないと即売の可能性があるとのことでした。
駅まで50分の道のりを歩いて行きましたが、
そこで出会えた景色も忘れることが出来ません。
この事故でたくさんの忘れかけていたことを思い出させてくれました。
命が助かったこと。
それは、まだこの世に生きてやらなけばいけないことがたくさんあると言われているような気がしています。
あの事故の瞬間のことを思い起こすと、
今でも身震いする思いですが、
きっとそれにも何かの意味を持っているようで・・・
石垣島旅行も行けるかどうか不安でしたが、
それがリフレッシュのきっかけとなればと思い行って来ました。
何より、石垣島旅行で3週間振りに車の運転を再開することが出来ました。
さあこれからです。
この事故を教訓に、また新たな人生を切り開いていきたいと思います。
活かされた命を大切にしながら・・・